『煙か土か食い物』

 

煙か土か食い物 (講談社ノベルス)

煙か土か食い物 (講談社ノベルス)

 

 

デビュー作にはその作家のすべてがあらわれるとはしばしば使われる文句だが舞城王太郎の場合もまたその例に洩れない。『煙か土か食い物』はペーパーバックを思わせる装幀といい講談社ノベルスの通常レイアウトに拠らない段組み(通常講談社ノベルスはその多くの出版物において18行×22列を採用しているが舞城王太郎作品においてのみ例外的に16行40列一段組みを採用している。)といいその形態からしてただのメフィスト賞受賞作ではない特別な風格をただよわせているだけでなく、のちの作風に通底する要素と、またのちの作風から注意深く排除されるようになった要素とを荒削りのままともどもにかねそろえている。

ストーリーは基本的には奈津川家をめぐる因縁と、主人公による探偵行為との2つの軸を交錯させつつ進行する。

これが噂のMaijoだ

小説界を席巻する「圧倒的文圧」を体感せよ!

 

腕利きの救命外科医・奈津川四郎に凶報が届く。連続主婦殴打生き埋め事件の被害者におふくろが?ヘイヘイヘイ、復讐は俺に任せろマザファッカー!故郷に戻った四郎を待つ血と暴力に彩られた凄絶なドラマ。破格の物語世界とスピード感あふれる文体で著者が衝撃デビューを飾った第19回メフィスト賞受賞作。

ところで『文圧』≒『スピード感溢れる文体』とはいったいどのようなものなのだろう?いったいなにに由来しているのだろう?

僕の考えでは『文圧』≒『スピード感溢れる文体』は句読点と改行との少なさや一人称口語の文章、情景法の徹底だけに依存しているわけではない。単純な謎-解決構造の畳みかけだけに依存しているわけでもまたない。が、ここではまだ詳細を記しはしない。この問いへの回答は追々明らかになってゆくはずだからだ。

一応『煙か土か食い物』の冒頭を引用しておこう。

サンディエゴにはおよそ三百万人の市民が住んでいるが、そいつらがどういうわけだかいろんな怪我や病気を背負いこんでホッジ総合病院にやってくるから、ERにいる俺は馬車馬三頭分くらいハードに働いてそいつらを決められたところに追いやる。チャッチャッチャッ一丁上がり。チャッチャッチャッもう一丁。やることもリズムも板前の仕事に似ている。まな板の上の食材を料理するときのチャッチャッチャッチャッ。

煙か土か食い物』は舞城王太郎の作品の中でもとくに面白い(と、僕は断言する)。主人公奈津川四郎の人柄は不眠に悩まされたり女と遊んだり謎を解きまくったり、あるいはハリウッド映画さながらのアクションを繰り広げたりと痛快極まるし、またその語りは思索と衝動とぼやきと嘆きとで充ち満ちて起伏に富んでいる。結果としてこの作品は愛と血と暴力とにまつわる非常に密度が高い人間ドラマに仕上がっている。

舞城王太郎入門には『好き好き大好き超愛してる。』とともにうってつけの一冊といえるだろう。

さて舞城王太郎はその思想から明らかな通りアメリカ文学村上春樹とから強く影響を受けている。実際彼は文壇では一時期ハルキチルドレンと呼ばれていた。『煙か土か食い物』は形式こそミステリーだし暴力描写も多いものの、その実多くの文学的な引用で充ちている。作中で主人公が読んでいるダンテ『神曲』はいわずもがなだ。ここではそのうちいくつかを指摘しておく。

サンディエゴのER トム・ジョーンズ『蚊』

不眠 村上春樹『眠り』

スチュワーデスとの会話 村上春樹ノルウェイの森

この冬最大の寒波 トム・ジョーンズ『コールド・スナップ』

ボクサー トム・ジョーンズ『剣闘士の休息』

赤いダッフルコート 村上春樹ノルウェイの森

狂人による巨大なメッセージ ポール・オースター『グラス・オブ・シティ』

「僕の死をあまり悲しみすぎないでほしい」 レイモンド・カーヴァー『水と水とが出会うところ』

「あんた、どこにいるんや今」 村上春樹ノルウェイの森

ノルウェイの森』を一読でもしたことのある人間ならおそらく表面的な一致だけではないテーマや主張の一致をも読み取れるだろう。その意味では『煙か土か食い物』は当時の彼の作家としての未成熟さを感じさせる作品でもまたある。

とはいえ、そこには初期村上春樹のようなデタッチメントはあらかじめ見当たらない。

舞城王太郎の会話にはいつだって他者との相容れなさが強く表れてこそいるもののそれにより卑屈になる登場人物はいない。奈津川四郎は旗木田阿帝奈という名前の女の子と結ばれる。この変わった名前は『あなたは敵だ。』のアナグラムになっている。他者を相容れないものとしつつもあくまでコミットメントをあきらめないその姿勢を、舞城王太郎はのちに主題のひとつとしてゆくこととなる。